父母兄弟の喜ぶ顔が見たい

対人恐怖症(重症の赤面恐怖症)の克服日記第八十六日:姉から来た先生へ手紙を読んだ。

姉の心尽くしが、全く有難くなった。

今までは、姉からの親切な慰めの手紙でも、当たり前のように思い、自分がこんなに苦しいのに暢気なことをいうとか、不平をいったりじれたりして、ひねくれていた。

けれども、今度の手紙で、姉がどんなに自分のことを心配し、心尽くしをしていてくれたかがよくわかり、感謝せずにはいられなくなった。

こうして親切にしてくれるのも、姉ばかりでなく、周囲の人、皆であると思えるようになった。

それに比べて、私は全くわがままの困りものの、利己者であったのである。

対人恐怖症(重症の赤面恐怖症)の克服日記第九十日(三月二十六日):九時ごろ、親戚から迎えが来て出かけた。

はじめて行った親戚のこととて、はらはらしていたが、予期したほどの心配はなかった。

しばらく話をして、上野公園で遊んだ。

私は今日はじめて、自分が以前とすっかり変わっていることを知った。

何と快いことだろう。

今まで自分が、病気のことばかり苦にして、何もしなかったことが馬鹿らしく、無意義に過ごした月日が惜しまれてならない。

今はただ、何を見ても考えても、皆知りたい、やりたい、なりたいの欲望が群がるように胸に一杯になる。

私の心は、喜びに踊っている。

家に帰ったら、父や母、兄や姉の驚き喜ぶ顔が見たい。

こんなに良くなった自分を考えると、今更ながら、先生の偉大なる不可思議力に驚かざるを得ない。

頭がおのずと厳かに下がるような気がする。

この頃は、対人恐怖症は、不思議にすっかり治ってしまったようです。

道を歩くのは平気です。

電車に乗っても、対した恐怖心はでなくなった。

でも他人と対座し、面と向かい合って話をする時には、やはり時々、淋しい表情が現われるが、これは自分の持前であろうとおもう。

対人恐怖症(重症の赤面恐怖症)の克服日記への森田正馬の回答『自分ばかりではない。やはり誰でも、同じこと。』

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著