対人恐怖症は敬意に乏しい
本例は、十八歳、農家の娘、高等女学校卒業。成績は上等である。
昭和六年の十二月に入院して、在院日数三カ月十二日。ようやく全治退院することができた。
昭和七年三月に退院して、一ヵ月の後に全治の喜びを得た。
本人は、発病以来、二年半ばかりになる。
高等女学校三年の夏頃から、一室に閉居し、食事に呼ばれても、なかなか自室を出ないようになった。
その後久しく学校を休学したが、先生らの勧めにより、ようやく出校して、卒業だけはすることができた。
その間、脳神経衰弱といわれて、医療はもとより、折衷により物憑の障りを払おうとしたり、久治などをもやったけれども、もちろん治らない。
森田正馬の著書を読んで、ようやく森田正馬の診察を受けるようになった。
それが昭和六年の十二月であった。
その前に、同四月、自分の病状を手紙で問い合わせてきたことがある。
その文章はいたずらに冗長で、これが対人恐怖症の特徴とはいいながら、不真面目な表現が多く、敬意に乏しいので、私は端書一本の簡単な返事で済ませ、私の念頭に置いていなかったのである。
その手紙を要約するとつぎのようである。
「・・・私事、この二年あまりいろいろな強迫観念に悩まされ、女学校はどうにか卒業し、種々な治療をいたしましたが、いつもあまり効なく悲観しております。
私の最も苦痛な強迫観念で、これだけは、どうしても諦めることのできないのは、どうしても人と顔を合わすことができない。自分の顔が変になって、どうにも人に、顔を見せられないことです。
「私、変な顔をするでしょう。」
「変な顔ってどんな?」
「どんなって、見られないような。」
「何いっているの?この頃ばかに沈んでいると思ったら・・・何か心配でもあるの・・・?」
「私、もう学校を退学するわ・・・お父さんには、まだ何もいってはいけないけれど・・・ほんとに、もう、こんなになっては仕方がないわ。」
「ちょっとも何ともないよ。変な顔なんて、誰にでもきいてごらん。しょうがないねえ。退学なんかできるものか。」
「ばかいってらあ、どりゃ、変な顔をしてごらん。さあ姉さんにお見せ。」
二人の姉がそういっても信用できず、とうとう途中で退学いたしました。
いろいろ説き聞かされ、思い切って再入学いたしました。
入学すると、ますます顔が変になる。
相手の顔も変になる。
次第次第に増してくる。
目が自然に泣けてくるようで、笑っても、いやな笑い方になる。
廊下で行き会う下級生も、向こうの方から、変な顔になって、私を恐れるようで、うつむいたり横を向いたり、困ったようなふうで、気の毒で仕方がない。
同じクラスの人達も、すれ違う下級生の顔を見て、きっと不審に思い、嫌な感情をもたなければならないであろう。
また授業中に、教壇に立つ先生の顔が変になる。
生徒は気の毒になって、うつむいてしまう。
先生の顔が、変になって赤面する。
ああ私のために、学校中、皆嫌な目にあわなければならない。
そう思って私は、恐怖と苦痛とで、身も世もあらぬ心地、全く前後わからないようになってしまう。
「あなた、どうかしたの?顔が青いよ。」
とお友達に問われても、恐怖のため、喉が詰まって、ものがいえない。
ああ、あんまりひどい
神様の膝にでもすがって、思う存分に泣いてみたい。
お父さんでもお母さんでも、私の顔を、少しも変でない、と言いながら、みんなと同じ通り、私と顔を会わす時は、いつも横を向いたり、視線をそらしたりするじゃないか。
私は廊下で先生に行き会うのが、ほんとにこわく、あっ先生だ、と思うと、もう硬くなってしまい、パッと相が変わってしまって、先生の顔を正視することができず、うつむいても悪いようで、いつも変な風になるのが常でした。
それで、先生も横を向いたり、授業中でも、何となく私一人、先生からのけ者にされているようで、全くみじめなものであります。
お寺へ行っても高座の説教師が、また自分に対して先生のようになりはしないかと心配し、説教もろくに耳に入らず、視線が自分の方に向くと、もう硬くなって、変てこになってしまう。
親と話をする時も心配でならず、道を歩いても、通行人と平気で顔を合わすこともできず、お友達とも、皆できないようになりました。
先生、どうかこの哀れな私に、治療法をお教えくださいませ。
この二十日ばかり、毎日図書館に行って『神経衰弱及強迫観念の根治法』『神経質及神経衰弱の療法』その他変態心理など読んで、ほぼ自分の病気もわかったようです。
しかし、私のような患者の実例はないようです。
私は、どういう風に心を持ったらいいでしょう。
それから、皆のいう通り、私の顔も相手の顔も、実際に変にはならないでしょうか。
錯覚とでもいうものでしょうか。
先生、どうかこの哀れな私をお助け下さいませ。」
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著