自己測定器
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記二日:午前中は、前田の主人と芋掘りに出かけた。
何だか気まずい。
なぜこんな気分が続くのか。
考えてみてもわからない。
複雑な微妙な人の心理だから、わかる道理のものではない。
神経の先がチクチクする。
二時頃、歯医者へ行った。
途中でチョイチョイ赤面した。
自分で、きょうは赤面するなと思っていると、果たして赤面する。
それが実によくわかる。
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『わかるはずである。予期不安から、自ら起こすのであるから。』
患者が四、五人来ていた。
顔が熱くなった。
皆がジロジロ見るから、部屋の隅へさがって視線をさけた。
熱いのは治ったが、神経はちょっとした動機にも赤くなるように待ち構えている。
赤面恐怖が、頭の中に一杯になっていた。
別に恥ずかしくも、恐ろしくもなかったが、生きていることが淋しくなった。
帰ってから、そば打ちの手伝いをした。
なぜ嫌な気分になるかを考えた。
私と前田さんとは、赤の他人である。
どんな親密にしても、四十歳の男と、二十歳の少年とは、友人となることができない。
私はあまりに多くを要求し希望し過ぎた。
私はいくら仕事をしても、それは一つの遊戯に過ぎない。
彼は職業をしている。
私は手伝いをしているよりは、むしろ邪魔をしている。
そして彼は「ありがとうございました」と、いちいち礼をいわねばならぬ性分である。
私は、彼の仕事の全部を手伝おうとしている。
彼は、なるべく仕事をさせまいとして「およしなさい」を繰り返すのは当然である。
それで、こんな嫌な気分が湧いてくるのだろうか。
いや私には、とても説明できない。
夕暮れの暗い部屋の中に横になって、大声で歌ってみた。
自分の声が空虚な淋しい歌を出すので、よしてしまった。
雪でも降ったように、外が白い。
月の美しい夜だ。
夜、前田へ遊びに行くのがどうしても苦痛だ。
我慢して行った。
すぐ嫌になって帰る。
そして、中村屋の婆さんと話してみた。
これも遇鈍な話だから、二階へ上って眠る。
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記三日:朝起きても、先日中のように、気が晴々しない。額から頭へかけて火照る。
今日一日も、また赤面する日であると予測する。
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『毎日、赤面するのを測量している。赤面計という器械である。』
朝、前田へ行って、妻君とお鶴と二人で米を炊いているのを、夕方まで手伝った。
主人がいないと「およしなさい」というものがないので、うれしい。
私の手足が、一番冷たかった。
手足へ行くべき血液が、頭と顔とへ来ているに違いない。
米を炊きながら、メーテルリンクの「青い鳥」を読んだ。
随分教えられた。
感激さえした。
人生の目的は、確かにあの青い鳥をつかまえることである。
あの青い帽子を被って、世界中の生物、無生物の精を見抜くことである。
もし私が一個の商人になったとしても、あらゆる生物、無生物の精を見抜くことができたら、特に芸術家というレッテルのつく人間にならなくとも、私は美しい有意義な生活ができよう。
そして、これがすべてであろうか。
しかし、やっぱり病は恐ろしい。
間欠泉のように一カ月中の幾日かは、赤面恐怖が激しくなるようである。
注意してみると、髪の伸びた頃が、最も赤面恐怖の度が強いようである。
床屋へ行くのが恐ろしいのに関係しているかもしれない。
明日あたりはいかねばならないかと思うと嫌になる。
そして煙草のことが気になった。
先生から、何の返事もないのに―対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『些細なことに拘泥する必要がないから、ことさらに返事しなかった』
毎日食後に、一本ずつ吸っている。
あるいは実際に毒があるであろうか。
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『いい加減に解釈していればよい。私も知らない。
もし医者が毒であるというならば、それもいい加減な口実である。』
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記:四日:朝から、腹具合が悪かった。
床屋へ行った。
また赤面することを予期した。
覚悟をしたような心持ちで、暗いガラス戸を開いた。
鏡の前へ座ったけれども、赤面しなかった。
そしてホッと安心した。
どんなに嬉しいことだったろう。
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記五日:一日中、うんと労働した。
夜は、前田へ招かれて、ご馳走になった。
昼食を食い過ぎて、胃が痛かったけれども、わずらうつもりで食った。
酒も飲んだ。
生れてこれが二度目である。
五勺ばかり飲んで、好い心地になった。
煙草ものんだ。
悪いことでもするように思われた。
夜中に腹痛で眼が醒めた。
無意義な一日を送ったものだ。
腹が痛いのに、なぜ患うつもりで大食したのだろう。
一体患うことが恐ろしくなくなったのであろうか。
酒や煙草をのんで頭の悪くなるのが、心配にならなくなったのであろうか。
何という馬鹿な話だろう。
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『病を恐れるから、いたずらにこんなことをする。
気にとめない人は自然のままでも、無理もしなければ拘泥もしない。』
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記六日:今日は一日、娘と二人、納屋で藁をたたいた。
一日中、歌を唄い通した。
こんなことをして暮らしている自分を顧みると淋しくなる。
湯へ入ってから、我慢して飯を食った。
まるで腹の調子が狂ってしまった。
へっているのかくちいのか、見当がつかなくなった。
果たして腹が痛くなった。
今日くらい屁をたれたのは、生まれて初めてである。
三十分間に、七つ勘定をした。
この割合にしたら、一日中、どのくらいしたかわからない。
しかし、破裂するような音なので、自分ながらあきれた。
対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『赤面計、病気計、感覚計という器械である。』
※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著