宿命論を排す

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記ニ十七日:下の人が、拳コツほどの蕨の餅を五つくれた。

朝飯前であったから、牛乳一合飲んだうえ、三つたいらげた。

そのうえ、飯を三杯食った。

昨夜、先生から、日記が戻ってきた。

私はかじりつくようにして読んだ。

そしてよく了解した。

将来の志望については、あわてなくてもよいが、それを考えると私はとてもあわてずにはいられない。

先生から送って下さったルソーの「懺悔録」を読んだ。

ルソーの一生を基準として、人生とは何であるかを考えた。

人間は、自分の望んだことは、皆行えないだろうか。

ルソーは、秘書官にもなれず、音楽家にもなれず、そして文学者になりきることもできなかった。

私達は、眼の前の小さい完成へ進んでいけばよい。

私達には、もう生まれる前から運命が決まっていて、結局は、運命の命ずるままになってしまうのではないか。

ここまで考えて私は、いやそんなことはない、と信じられなかった。

それ以上、幾何を証明するように考えることはできなかった。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『宿命論は、私らの常に最も排斥するものである。』

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記ニ十八日:午前、歯医者へ行った。

ほとんど残像はない。

今日は、顔が赤面する日だ。

百姓に会っても赤面し、娘がすれ違っても赤面した。

歯医者のところで挨拶しても赤面した。

帰りにはこの哀れな自分を、もっと苦しめてやりたくなって、停車場へ行った。

汽車へ自分の顔を乗せて、うんとなぶってやるつもりであった。

発車まで一時間半もあったので、また歩いて帰った。

途中赤面した。

先生の「必死必生」を思い出して、心して赤面した。

恥かしくなかった。

午後、労働をした。

一緒に働く娘に、「顔が赤いか」と聞いた。

「赤いわ」と答えた。

「目につくほど赤いか。」

「いいえ、目につくほどではありません。」

「赤い顔と青い顔どっちが嫌いか。」
「青いのは全く厭です。田舎の人は赤い顔が好きです。」

「東京の友達は、赤い顔をする人間をなぶりものにするよ」といいたかったが、よした。

夜、宿の婆さんがやってきた。

また例の一件だなと思った。

赤面した顔が一層赤面した。

私は腕を組んで、顔に一杯、電気の光を浴びていた。

赤くても恥ずかしくても、心おくれもしなかった。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『ようやく全治の境に近づいた。

自ら測量すること、ことさらに努力することも、追々となくなった。』

午前、歯医者へ行く途上、こんなことを考えた。

私が文科へ行きたいのは、あるいは至当でないかも知れぬ。

私が先生に修養していただかなかったら、

私はおそらく神経衰弱のため、文科どころの騒ぎではなかった。

そしてまた、先生の所へ行けたのは、父がやってくれたのである。

父は私を、どんなことがあっても商人にすると力んでいる。

今私が父に背いたなら、私は最も憎むべき忘恩者の名を受けはしまいか。

今の私は、私の私でなくして、父と先生との所有している私ではないだろうか。

私には、もう自由な意思がないわけである。

真の子の愛とは、自分の意志を捨てて、全く親のいうがままになることではないか。

キリストの愛も、そういうふうに解すべきものではないか。

芸術を捨てて、父の命ずるままに商人になって、一生を送るとする。

こう考えると、苦しくなる。

そして私は、生きた木偶、呼吸をする木偶になってしまう。

いや、そんなことはない。

私は商人としての生活を考えてみた。

豊かな衣食住以外、どんな生活がある。

それから、温かい幸福がわいてくるとする。

ミレーの伝記を読み、ベートーベンの一生を知っている私は、とても、そんなものが真の人としての生活であるとは思えない。

しかし今日は父の命ずるままの学校へ行こうと思った。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『この問題、この煩悶は、全ての人に、馬鹿でない限り誰にも一度は起こることである。

君一人のことではない。

これを解決するものは哲学ではない。実際である。

理屈に偏した時は、同一のことが、愛とも憎とも、悪とも善とも解せられる。

実際に思ったよりもたやすい。

しかも最も難しい理由を超越している。

およそ人が、その人生を造り上げるものは、その人の人格そのものである。

あながち文学を勉強したからとて、真の詩人とはなれない。

また商業を修めたからとて、必ずしも成金になれるものではない。

いかなる境遇に生れ、いかなる教育を受けたにしても、必ずその人の本性は発揮されなければならない。

これが本当の人格である。

造った詩人よりも、生まれた詩人が尊い。

鋳型に入れた宗教家よりも、発心した信仰でなければならない。

あるいは科学に身を立てた哲人は、文芸にかぶれた詩人よりも尊いかも知れない。

後藤新平大臣も、確かクレマンソーも、もと医者であった。

またエジソンは小時、汽車のボーイであった。

私は君を商人にしたいとはけっして思わない。

父上も、まさか無理にも、とは思うまい。

しかるに一方から考えれば、私は君に対して、君の文芸に憧れる心を満足させたくない。

その前に、まず着実な実際家となる地盤を作らせたい。

山吹のような哲人にしたくない。

スイミツ桃のような詩人にしたい。

しからばどうすればよいか。

それは君も知らない。

私も知らない。

それは君のいわゆる自由意志ではない。

神の意志である。

境遇に適応する心である。』

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記二十九日:歯が痛くて、一日くさくさした。

ルソーの「懺悔録」を読み直す。

午後、収穫を手伝った。

仕事をすることは愉快である。

しかし私の気は重い。

ごく淡い淋しさと悲しさと心配とが混じて、一種異様な気分ができた。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記に対する森田正馬の回答『歯の痛みから起こる精神的な反応である。』

鉄道で、前田の主人と立ち話をしている男があった。

私は藁をしまって、小路から見ていた。

「この村では、除兵隊を小学生徒が出迎えなかった」とか、「ああ涙に堪えなかった」とか、「村役場へ駆け込もうと思うが、村長がいない」とか悲憤しているところは、まるで駆け出しの壮士であった。

私は失笑してやりたい気がした。

突然、ギョロッとした眼で私の方を見て、「野郎来い、来い」と言われた時は、全くギョッとした。

彼は私の心を見通して、あの太い杖で、私をどうかするつもりかと思った。

居合わせた人の視線が、私を赤面させた。

セルフコントロールを失った。

彼は、私に対していったのではなかった。

彼の犬が、私の後ろにいたのだ。

後で聞いたら、彼は半狂人だそうだ。

狂人に睨まれたら、赤面するのも当たり前だろう。

しかし気が弱い。

そして、こういう人達を扱っている先生も、随分気味が悪いだろうと察せられた。

教師に睨まれるのと、狂人に睨まれるのとは同じである。

家へ帰っても、婆さんの顔を見ると、昨日のことが思い出されて、厭な気がした。

人生は、こういうことで一杯ではないだろうか。

東京へ帰りたくなった。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記三十日:今日は十一月の最終日だ。

何の感慨もおこらなかった。

どうせなるようにしかならない。

いくら、せいても、あわてても、流れ着くところにしか流れない。

大きな渦巻があって、それは黒くて憎むべき渦巻である。

人は皆、その渦巻に巻き込まれようとしている。

ちょっとでもよいから、渦から逃れようとしている。

良心の強い人間は、最後まで、水の底へ潜りっぱなしにはならない。

すぐ浮び出る。

しかし結局は、死という鳥が飛んできて、浮いている人間をさらっていく。

夕方、四、五人の若い男が、変な服装で、ラッパを吹いて村へ来た。

今晩、活動写真があるそうだ。

私は二階から、その男達の歩くのを見た。

あんな馬鹿なことをしていたって、人生は人生だ。

あの人達だって、生きているのだ。

そして人生とは、何を目的としているのだろう。

雨雲に包まれた山々を見ながら、空想に耽った。

対人恐怖症(赤面恐怖)の克服日記十二月一日:東京へ持って帰るつもりで、串柿をこしらえる。

※参考文献:対人恐怖の治し方 森田正馬著