対人恐怖症の中核症状として対人緊張、赤面恐怖、蒼面恐怖、表情恐怖、態度恐怖、醜貌恐怖、視線恐怖、関係念慮ないし関係妄想がみられることがある。
こう症状を羅列すると、対人恐怖症はさらにさまざまな下位類型に分けうるのかと思う人がいるかもしれない。
しかし、さまざまな症例をつぶさに調べてみると、これらは臨床的な経過において、一連の関連をもっていることが容易にみてとれる。
結論を先に述べると、やや特殊な醜貌恐怖を別にすれば、対人恐怖症は基本的には<対人緊張・赤面恐怖>→<創面恐怖>→<表情・態度恐怖>→<視線恐怖>→<関係妄想>へと段階的に進展してゆく。
そしてこの変化を症状変遷という。
むろんこの症状変遷は、多数の症例から帰納的に抽出してえられた規則性であって、具体的な個々の症例においては、その一部の段階が表面化しないものもある。
また、段階的な変化であるから、初期段階にとどまる場合があることは言うまでもない。
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対人恐怖症臨床像
例えば症例1は、赤面恐怖の段階にとどまった例である。
この症例も場合によっては、さらに<創面恐怖>→<表情・態度恐怖>などへと発展する可能性をもつ。
そう言えるのは、症例2のように赤面恐怖を治そうと試みているうちに、さらに悪化して表情恐怖に変化したり、あるいはまた、症例3のように、<赤面恐怖>→<蒼面恐怖>→<表情恐怖>→<視線恐怖>へと変遷してゆく例が少なくないからである。
症例4では、視線恐怖に関係した色目恐怖から、さらに関係妄想へと進展している。症例2と4では、蒼面恐怖の段階が欠けている。
このような欠落がみられる例があっても、多くの症例の集積から、蒼面恐怖を病状変遷のどこかに段階的に位置づけるのは容易である。
このような症状変遷の想定は、発見的な役割をもはたす。
たとえば対人恐怖症でも、ごく表面的に観察すると、前段階がまったく欠けていて、後の段階の症状でもって発症したようにみえる例もある。
しかし、これらの場合も、別の症状で前段階がおきかえられているか、あるいは症状発現にまでいたらなくても、基本的にはその前の段階に相当する精神構造が発症前に認められるのが普通である。
欧米諸国では羞恥に密着した症状が出にくいことを述べたが、このような症例の存在は、そういう可能性のあることを傍証しているといってよく、日本でも従来この点が見逃されてきたことを考えると、まして、ことばの厚い壁を乗り越えなくてはならない比較精神医学的研究において安易な判断は危険であることが分かる。
ここでは、このような症例を一例に限ってあげ、括弧内に解説を加えておくことにする。
症例5
女性。
患者は、当時銀座でもっとも高級といわれるクラブに勤めていたが、服装の件で注意され数日でクビとなった。
心底から憧れて務めたところであったのでひどく落胆し、つぎのクラブに勤めた頃から笑顔がこわばり、客への作り笑いをみせるのがつらくなった。
そんなある日、街を歩いていると、向こうから奥様風の女性が自分に笑いかけてくるように思えて、相手をみた。
その時、その女性は、ふん生意気な、という様子で顔をそむけた。
それ以来、対人恐怖症患者は、現在に至るまで約7年間、表情恐怖および被害的かつ加害的な視線恐怖に悩み続け、そのために職を転々としている。
横恐怖というより、むしろ上方を見ることへの恐れが強く、電車の中でも見上げることができなかった。
(表情恐怖で初発し、すぐ視線恐怖へと進んでいる。
発病前は次の如くである。
対人恐怖症患者は恥ずかしがり屋であるが、人見知りはしなかったという。
両親は対人恐怖症患者が6歳の時に離婚し、再婚しているが、患者は義理の父にまったく人見知りもせず、むしろ躾にやかましい母より義父のほうになついた。
小学校時代は気が小さいけれど明朗で社交的だった。
中学時代は、笑うと赤くなるのが嫌で、人から照れ屋、弱い人間とみられまいとして赤くならないように努めたこともあるけれども、とくに悩むほどでもなかった。
高校時代は青くなるタイプに変わり、人前で歌う時に声が出なくなり、緊張して青くなった。
テレビドラマの出演者募集の試験を受けに行って、自分の名前をいう時に声がでなかったこともある。
しかし、これまた、悩まなかった。
高校時代から、非行というほどでもないけれど、同級生のように平凡な道を歩むことに反発し、この頃から将来は水商売に入る気持ちをかためた。
この当時は、好きな男性とは赤くなって話ができなかったという。
好きな男と性交渉をもつさいに失敗する可能性をおそれて、好きでもない男と予行演習のつもりで初体験をした。
好きな男性以外とは、対人緊張は全く感じなかった。
高校卒業後は、デパート、喫茶店、バー、キャバレーを渡り歩き、まったく屈託もなく楽しく過ごした。
人の思惑にこだわらずに、自分の生き方を押し進めてきた。
この症例では、義父への態度と水商売の選択は、どこかで共通した行動パターンを成しているようである。
赤面恐怖→蒼面恐怖という病状変遷段階の片鱗がほのみえているけれど、たとえば緊張して青くなるのも、人前で歌うという、きわめて稀な器械に限られていて、臨床症状を成すほどのものにはなっていない。
全体として独自な生き方に自足し、分裂気質的防衛で十分に適応しえていたと考えられる。
ところが、あこがれのクラブに入って同調的態度をとることを強いられて、潜在していた対人恐怖症が露呈したとみられる)。
症状として顕在化しなくとも症状と等価の対人恐怖症的心性が思春期までさかのぼれるこのような症例をもふくめて、典型的な対人恐怖症例において症状変遷の原則からはずれると思える症例は一つもない。
唯一の例外は、中村勇二郎が報告しているところの、初期段階にとどまってその後の段階に発展してゆかない「中年期の対人恐怖症」であるが、このような例は別の視点から論じる必要がある。
ところで、症状とは違うけれども、対人恐怖症の病前性格には、恥ずかしがり屋、照れ屋、人見知りしやすい、といった傾向が目立って認められる。
むろん症状変遷のある段階が顕在化しない例もあるように、当然、症例によっては、人見知り傾向すらも潜在化してしまうか、あるいは忘却されてしまう場合もありうる。
たとえば、ある優等生の女性の対人恐怖症患者は、高校入学後に、ある不良っぽい同級生との友情と反発の葛藤を背景にして、ある日ふと先生の視線を意識して以来、重症の被害的および加害的な視線恐怖と被害関係妄想を発展させるにいたった。
対人恐怖症患者は小学校、中学校時代はきわめて社交的、活動的で、クラスの委員長にもよく選ばれた。
ところが対人恐怖症患者は、小学校入学前はひどく人見知りする子だったと母から知らされて、自分でも信じられないほど驚いていた。
母親の話を要約すると、要するに患者は、先のジンバルド博士流の先生の指導のおかげで、小学校入学後まったく人見知りしない子に変貌したのであった。
理論から言うと、その無理な変貌のおかげで、潜在化した人見知り傾向がいっそう重症の視線恐怖を促したものと思われた。
のちに言及する人見知りへの防衛や、対人恐怖症の克服努力から生ずる前段階の背景化現象からいって、このような現象があってもなんら不思議ではない。
こういう現象を考慮に入れた上で、多くの対人恐怖症の病前の研究から、私は症状変遷の第一段階として、<人見知り>段階を導入することにしたい。
人見知りという精神発達における正常な現象を、病理的現象の系列のなかに導き入れることに疑問を感ずる人がいるかもしれないが、正常と異常の両者の関連を求めてゆくのが、現代精神病理学の基本姿勢であり、それは神経症に関してはほぼ完全に成り立つことであるばかりか、いまでは内因性精神病についても、そのような試みがなされて成果をあげているのが現状である。
対人恐怖症の精神病理を通して、症状変遷の第一段階である人見知りという羞恥の根源に接近しようとするのも、そのような意味においてである。
※参考文献:対人恐怖の心理 内沼幸雄著