これから対人恐怖症の臨床像について述べてゆくが、誰しも自分の体験に照らし合わせて対人恐怖症患者の訴える症状に耳を傾けてゆけば、自分にもかつてそのような傾向があったこと、あるいは、いまもあることに気付くであろう。

実際、京都大学入学生全員を対象とした1966年度のある調査では「赤面しやすい」が40.1%、「他人の視線が気になる」が32.2%、「どもったり、声が震えたりする」が9.6%と、対人恐怖症的傾向を多少なりとも認める者が、かなりの高率にのぼっている。

もちろん、これらの学生がすべて神経症だというわけではない。

けれども、少なくとも日本では、対人的な敏感さがかなりふかく人々のなかに浸透していることを示していると言えるだろう。

いまなお、日常の臨床で対人恐怖症に接することが決して少なくなっていないことから、現時点で調査をしても、結果はたいして変わらないと思われる。

事実、最近の調査でも、これらの怖れが、かなりの頻度で認められている。

では、どのような臨床像がみられるだろうか。

すべての神経症類型がそうであるように、その境界は不鮮明である。

類型概念を拡げればどこまでも拡がり、極言すれば、人間は全て対人恐怖症的存在であると言えなくはない。

のちに述べるように、「地獄とは、他人だ」と言い切ったサルトルは、その著書「存在と無」のなかで対人恐怖症的な存在論を展開している。

そこにまた、対人恐怖症論の面白さがあるわけであるが、そこまで拡げると概念が拡散して焦点がぼやけるため、さしあたり研究的には、できるだけ概念を厳密にとらえておくことが大切である。

一般に、対人恐怖症としてよくみられる症状をあげると、対人緊張、赤面恐怖、蒼面恐怖、表情恐怖、態度恐怖、醜貌恐怖、視線恐怖、関係念慮ないし関係妄想がある。

ふるえ恐怖、発汗恐怖、人前で上がることへの恐怖は、ここでは対人緊張に含めた。

これらが対人恐怖症の中核的な症状である。

そのほか、やや変わった辺縁症状として、どもり恐怖、寝言恐怖、自己臭恐怖、排尿困難恐怖、勃起不全恐怖、唾液嚥下恐怖、嘔吐恐怖、腹鳴恐怖などがある。

これらが対人場面で現れる場合には、対人恐怖症状とみなせることもあるが、その場合も中核症状に随伴して現れるのが普通で、辺縁症状のみが単独にみられる場合には、別の神経症類型を考えた方がいい。

ここでは中核症状にかぎって述べることにするが、抽象的説明ではわかりにくいと思うので、代表的な症例をいくつか挙げておくことにする。

症例1
女性。

小さい頃から人見知りの傾向が強かった。
それがだんだんと対人恐怖症的症状となった。

高校の頃は男性をつよく意識して赤面しやすいところがあったが、男性の前では大人っぽく振る舞うように努めた。

高校の頃はとくに病的とは考えていなかったが、会社に入った頃からひどく赤面を意識するようになった。

赤面恐怖の為、会社の食堂で食事ができなかった。

仕事中、人に見られていると、計算も出来なかった。

電車の中でも赤面を怖れて座席に座れなかったこともある。

人と会うと、白けるのを怖れて無理に意識してお喋りとなり、そのために疲れてしまう。

赤面恐怖の為、高卒後、半年から一年くらいの間隔で会社を3回変え、今は小さな商店に勤めている。

ひどく臆病だけれども、負けず嫌いなところもあり、せっぱつまると、わりと大胆になる。

症例2
男性。

八歳のときに母親に死なれ、その一年後から継母に育てられた。

高卒後に就職した。

家庭が暗かったせいもあって、社会に出てから解放された気持ちで、みんなのため、弱い人の為にと努力した。

性格は内気な面はあるが、どちらかといえば明るく話好きな方で、職場のクラブ活動などでも積極的に活動した。

発病は4年前にさかのぼる。

そのころ旅行中に、たまたま電車の座席で隣り合わせになった見知らぬ女性とはなしているうちに話題がとぎれ、話につまってしまった。

その時、頭に血が上り、どぎまぎしてしまい、恥ずかしくて顔が真っ赤になった。

それ以来赤面恐怖となり、人と話す時、どぎまぎして顔がほてるようになった。

その後症状はますます悪化してゆき、二年前に広告をみて赤面恐怖などの治療を行うS学院に、週2,3回、約一か月間通った。

同じような患者が大勢いることを知り、一時よくなった。

ところが、仲間からいろいろと症状を聞いているうちに「ミイラ取りがミイラになってしまった」。

赤面恐怖が治らないばかりか、さらに顔がこわばる、目がつりあがるといった、いままでになかった症状まで出てきてしまった。

電車に乗っている時も、自分の変な顔が見られているように思え、最近では人との交際もなくなってしまった。

というのは、話をしても何か人に気まずい思いをさせてしまい、人に悪い気がして自然自分のほうから人を避けるようになったからである。

人と話していると変な顔になってしまい、まともに話題も提供できず、相手をうらやんだりして話の中に入っていけない。

自分がみんなの仲間に入ると気まずくさせてしまうので、今では気持ちもひねくれてしまった。

何をやっても駄目だったので、もうどうでもいいやと捨て鉢な気持ち。
すべてに自信を失った。

生きることにも自信を失った。

毎日外に出れば人に会う。

朝起きるのが苦しい。

症例3
男性。

発病は中学3年生。

もともと活発で社交的だったせいで、当時みんなから推されて生徒会会長として活躍した。

ある会議の時、声のきれいな女生徒が発言した。

この時患者はどきんとして、顔色がおかしくなるような気がした。

他の生徒たちにその子が好きなのだと疑われやしまいかと思って冷静を保とうとしたが、余計に赤面した。

それ以来赤面恐怖となり、生徒会が怖ろしくなった。

なんとか自分で克服しようと努めてみたが、症状は悪化するばかりで、そのうちに高校1年の頃から赤面というより、むしろ人前で顔が青くなり表情がこわばるのを怖れるようになった。

そのうちに他人の視線をひどく意識するようになり、道を歩いていても前を見ることができなくなった。

教室でも先生の顔が見られず、自分が見ると、先生の方が赤面して顔をこわばらせるので、わるいことをしているようで授業中まともに黒板が見られず、学業成績も低下した。
どこに行っても他人の視線が意識され、本屋では万引きだと疑われているように思えた。

大学進学、就職と経歴面では順調に進んでいったが、症状は消長はありながらも基本的には同じ状態が続いていた。

精神安定剤を使って何とか保ってきたが、薬局から薬を入手できなくなったので服薬をやめたら、ひどく症状が悪化した。

ついに自分はジキル博士とハイド氏になった、と愕然とした。

現在、某官庁の課長、同期生のうちで出世は早い。

症例4
女性。

小さい頃は、ひどい恥ずかしがり屋で、客の前に出られなかった。
内向的で読書を好んだ。
ひどく臆病で、子どもの頃ひとりで便所にいけなかったことを今でもよく思い出す。

それでいて負けず嫌いで、気が強く、言い出すときかない意地っ張りで頑固なところがあった。

小学校入学まで近くに住んでいた母方の祖母に育てられ、何でも言うことを聞いてもらえたせいで、人に良く思われたい、ちやほやされたいという気持ちが強かった。

小学校入学時から両親のもとに引き取られた。

母は高等女学校時代成績は全校で一番であり、師範学校への進学を勧められたほどであった。

教育熱心で、患者によると、見栄で子ども達を一流大学に進学させようとして勉強を強いた。

宿題は母がつきっきりでやらされ、誉められた記憶は全然ない。

患者は「絶対的に母が怖かった」。

家は農家で、勝ち気な母がとりしきり、母は小学校しか出ていない父をバカにしていた。

その影響で子ども達も父を軽視する風があったが、患者はバカにされる父を可哀想に思った。

患者は勉強を強いられたけれども、あまり素直に従わず、小説ばかり読んでいた。

その影響で、小説のなかの主人公のような完全で理想的な人間になりたいと思った。
人並みの人間では不満だった。

恥ずかしがらない人間、真直ぐな人間、正視できる人間が自分の理想像であった。

なお、成績は上位だった。

対人恐怖症がはじまったのは、中学一年のホームルームの時からである。
その時赤面して以来、人前で赤面するのをひどく怖れるようになった。
直そうと努力したが、赤面恐怖は悪化するばかりだった。

高校に入学してからも赤面恐怖が続いていたが、高校二年の時、ある日ふと教室で自分の横にいる男性が目に入り、この時、変に思われはしまいかと思った。

それ以来、自分の目つきが変ではないかと絶えず意識するようになった。

視線恐怖になってから半年後、さらに別の症状が加わった。

その頃、近親相姦について書いた本を読んでから、自分の父とそういう関係を持つのではないかと怖くなった。

それを契機として、夜間眠っているあいだに父や誰か別の男性の名前を叫ぶのではないかと、強迫的な恐怖におびえるようになり、そのために眠るのが怖かった。

その間も視線恐怖はますます悪化してゆき、高校三年になると視線が「180度」も拡がってよく見えるようになってきた。

そのために左右が見えないように手で隠したり、首を動かさないようにして、ひどく肩がこるようになった。

横に目線が行くのが怖ろしくなり、とくに男性の性器の部分に目線が行くのが怖かった。

そのうち男女の区別なく人の性器のほうに目線が行くのではないかと思うようになり、電車のなかなどで目を開けていることができなくなった。

高卒後間もなく、対人恐怖症の矯正施設であるS学院で治療を受けようと家出して九州から上京した。

しかし経済的な理由から治療をあきらめ、住み込みのお手伝いその他いろいろ仕事を変えながら自活してきた。

その後結婚して子供ができた。

それまでは近所との交際もなかったが、子供を介して近所の主婦と友達になれた。

その友人と一緒に内職をはじめてから気持ちも明るくなり、毎日が充実して楽しかった。

視線恐怖は続いていたけれども、内職の収入も入り、また人との交際も多くなった。

よくお喋りもし、よくはしゃいだ。

二ヵ月間くらいは、ほとんど毎日3~4時間眠るだけで内職を続けた。

そんなある日、内職の仕事について、これでは売り物にならないと業者にいわれた。

それをきっかけに、抑うつ状態となり、近所の人達にひどいことを言われたような気がして、絶望的になって自殺しようとした。

この状態で夫にともなわれて来院した。

初診時の状態は次の如くであった。

1、被害念慮をともなった抑うつ状態。

2、「色気違いだ、自分は普通の人とは人種が違う」という妄想的確信

3、視線恐怖。

「自分の目つきのために、周囲の人達がいらいらする。

自分が行くと、周りの人達が席を立って行く」。

主人も自分のために落ち着かなくなり、もともとおっとりしていた主人は、結婚してから自分のためにいらいらして乱暴になってきた。

こういう自分を見て、みんなが嫌な顔をする」。

特に色目恐怖。

4、眠っている間に男の名を叫ぶのではないかという強迫観念。

この強迫観念が出現して以来性欲が亢進していると患者は言うが、性欲自体の亢進というより、むしろ色目恐怖と関連してそう思っているだけであった。

むしろ不感症である。

これらの症例には、中核症状が典型的な形で認められる。

症例1は、赤面恐怖のみの例である。

症例2は、赤面恐怖ではじまり、さらに「顔がこわばる」「目がつりあがる」「変な顔になる」といった表情恐怖へと進展している。

症例3は、赤面恐怖から顔が青くなる蒼面恐怖へと変化し、ついで表情恐怖もくわわり、最後に視線恐怖が現れるにいたった例である。

症例4では、赤面恐怖から視線恐怖へと進展し、視野が「180度」拡がって「横が気になる」横目恐怖に関連して、色目を使うのではないかとおそれる色目恐怖となり、さらに、それと深く関係した「色気違いだ。自分は普通の人達とは人種が違う」という妄想的確信をめぐって、「けだもの」「そこにいるだけで迷惑だ」「死になさい」と他人から言われたような気がするという、被害関係妄想を発展させるにいたっている。

これらのうち症例1,2,3は日常の臨床でよくみられる対人恐怖症の例で、病像の輪郭は比較的とらえやすい。

しかし実際には、中核症状のほかに、どもり恐怖、寝言恐怖などの辺縁症状がくわわったり、また症状の現れ方、経過なども個々の症例で異なったりして、複雑な病像を呈するものも少なくない。

※参考文献:対人恐怖の心理 内沼幸雄著