”不安神経症とはなにか”

不安神経症とは、対人恐怖症とは異なる神経症の一塁型である。
パニックともいわれる不安発作に繰り返し襲われる。
その際、動悸、呼吸困難感、めまい、発汗、震えなどの自律神経症状と、それにともなって死の恐怖、発狂恐怖などの精神症状が出現するのを特徴とする。激しい動悸をを伴うことが多いため、心臓神経症などともいわれる。

近年欧米では、不安発作や発作がまた起こるのではないかという予期不安のため、見知らぬ人ばかりの場所へ外出ができなくなる例が多く、そのような症例を広場恐怖とよんでいる。

この広場恐怖は、イギリスでは1900年前後に急速に増加したといわれ、そのために「OPEN DOOR(門戸開放)」という名の患者の会が結成された。
対人恐怖症が青年期前後の男性に発症するのが多いのに対して、広場恐怖はどちらかというと、既婚の中年女性に多く見られる。

時代的背景を考慮にいれながら比較精神医学的検討を加えたマーフィーによると、当時男性の躾けにおいては幼少期より自立・独立独歩の精神が強調されたのに、女性の躾では相対的に他人への愛着・依存が奨励されていた。
このような躾けを受けた女性が結婚した場合、当初は夫婦の愛情でささえられるが、そのうちに妻も自立が要求されるであろうし、愛着・依存の要求は、期待に反してみたされなくなってゆく。
マーフィーは、そのような背景にもとづいて広場恐怖が急増したのであろうと推論している。
依存したい気持ちをつよく潜在させながら、自立を求められる。
このような自立とつよい潜在的依存をめぐる対人葛藤が、不安神経症のもとにある原因といってよさそうである。

とすれば、その葛藤と、ひとりで外出するとか自分の家にひとりでおかれるとかいう孤立状況での不安との間には、関連があるとしか思えない。
ところが、患者の意識のなかでは身体的疾患への怖れへと変えられてしまっており、もはや症状内容それ自体には、対人関係の問題を示唆する片鱗すら認められない。

あえて対人接触をあげるとすれば、不安発作のたびに医師のもとに駆け込んでくるとか、身近な人と一緒でないと外出できないとかいった点である。
ここには、医師などへの依存という、ある意味での対人接触への動きがあるといえなくもない。
しかしその前景に立つのは、あくまで身体疾患への怖れであり、同時に身体疾患への逃避である。

このようなことは一般に、会食恐怖の患者には認められない。
というのは、会食恐怖の患者は人中での精神的緊張を自覚しており、吐くのではないかといった恐怖も精神的なものだとの認識を持ちやすいからで、その都度医師のもとにかけこんでくるようなことはしない。

たしかに会食恐怖の患者には、孤立無援への怖れがあり、そのため人中での食事を避ける。
しかし、孤立への怖れという点では、不安神経症の患者は、より一層逃避的だといってよい。

※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著