“人前で叫びだすのではないか”
対人恐怖症の辺縁群についても若干述べておこう。
まず最初に、会食恐怖の症例を示しておく。
H男、初診時二十五歳の大学院生
自分も恋人も一人っ子で両親のことを考えて結婚にふみきれないうえに、将来助手になる道は険しく、出版社への就職も考えたが、これまた容易ではない。
そういう状況下で、仲間や見知らぬ人と同席して食事する際に、ノドが詰まって吐くのではないかという恐怖と、人中で叫ぶのではないかという発狂恐怖が出現した。
またそのために、対人緊張が生じるようになり、会食の場を避けるようになった。
恋人は音楽家で演奏活動もし、気が強く自立的な女性である。
対人恐怖症患者は気の強い女性にひかれるといい、女性に全く依存的である。
結婚についても主体的な打開策はいっさいとらず、だらだらと同棲生活をつづけちるうちに、女性の方が離れていった。
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A中核群・・・
会食(雑談)恐怖のみが出現するもの
B対人恐怖症・・・
他の対人恐怖症状の一環としてみられるもの
C対人拒否・・・
分裂病質、分裂病など(会食拒否)
D摂食にかかわる外傷から・・・
給食恐怖、嘔吐などの既往
Eその他・・・
不潔恐怖などから
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会食恐怖の分類
この症例は、会食という特定状況での恐怖と、人中というひろい不特定状況での不安神経症に類似した発狂恐怖からなりたっている。
会食恐怖という症状にかぎってみれば、会食という場を避けさえすれば症状は発生しない。したがって症状に関しても、対人恐怖症患者が逃避すればそれですむ。
そればかりか対人恐怖症患者はその症状のげんいんとなっている背景状況に関しても逃げ腰である。
いったい、会食恐怖は、珍しい事例なのであろうか。
私の印象では、一般の精神科外来に来院する人達はけっして多くない。
しかし東京大学保健センターの山田和夫氏らによると、たしかに自発的に来院する者は少ないが、入学時面接などによって見出される事例は決して少なくないという。
山田氏らは、こうしてえられた数多くの症例にもとづいて会食恐怖を表のように分類し、そのうち会食恐怖の中核群について次のように考察している。
会食恐怖の中核群は、いわゆる対人恐怖症や対人緊張をともなわない、会食恐怖のみが突出している群である。
が、雑談恐怖をしばしばともなうことがある。
この中核群では、学業だけのつきあい、形式的な付き合い、機械的な共同行為はふつうにやれる。
触れ合いの必要のない共同行為は不安を生じない。
だから、共同の実験もゼミもふつうにこなす。
会食という場で胸がつかえてノドを通らない。
ノドがくるしくなるといっても、母が傍らにいる場合はおおむね大丈夫だし、百パーセント自分を受け入れてくれる相手のときは、症状が出現しないことも多い。
母の手造り弁当をもってゆくと会食できる例もある。
つまり、対人関係をふかめ、触れ合いを求めるのに「母性的援助」が必要だということであって、これこそ中核群の最大のポイントである。
ひろい意味で葛藤処理の能力に欠けるということができるだろう。
山田氏らは会食恐怖の中核群ではすべて、「触れ合い」の場で退却し、父性的・攻撃的・積極性といった強力性に欠け、みずから努力しようとするアプローチがみられない点を指摘している。
要するに対人恐怖症の中核群とくらべて、会食恐怖の中核群は依存的、逃避的だということであろう。
山田氏らの分類にしたがえば、H男さんは対人恐怖症的な緊張症状をほとんど示さず、大学院のゼミはふつうにこなし、強い女性へ依存する点などにおいて、会食恐怖の中核群の特徴をかねそなえているといえるであろう。
ここでの関心は、神経症諸類型における会食恐怖の位置づけである。会食恐怖は図1
(図1)
に示したように、対人恐怖症と不安神経症(図では不安ヒステリー)の中間に位置し、対人恐怖症をひろくとれば、その辺縁群としてとらえられる。
※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著