●”不信の世界”を打ち破る
”モデルチェンジが必要”
この世の中には、心をうちあける親しい友人や恋人をもっているひとがいる。
他人の心を理解し、他人に寛大であるために、周囲の人から信頼されている人もいる。
かと思えば、自分は心をうちあける親しい友人もいない、他人の成功には妬みを感じるし、周囲の人からの信頼もないという対人恐怖症の人もいよう。
それでは、こういうことをどう考えればよいのか?
信頼を得ている人とそうでない人の違いは何か?
親しい友人がいて元気よく毎日を送っている人がしていて、そうでない対人恐怖症の人がしていないことは何か?
その点を考えることである。
おそらく、その人達は他人に支配されて対人恐怖症的に生きているのではなく、ありのままの自分でいきているのだ、ということがわかるのではなかろうか。
ところが、自分についてはどうか?
周囲の誰かが自分に感情移入した。
誰かが自分を同一視した。
それを自分が許した。
そしてその時から、自分の感情を見失ってその人の人生を生きるようになってしまった。
心にゆとりがあり、エネルギッシュに生きている人がやっていて、そうでない対人恐怖症の人がやっていなかったことは、他人から”取り囲まれる”ことの拒否である。
それは、信頼を得ている人は、小さい頃それだけ立派な人達にかこまれていたということにもなる。
つまり、その人をとりかこんで自我の拡大を図ろうとするような人が周囲にいなかったということである。
信頼を得て自信をもって生きている人がやっていて、自分がやっていなかったことは何か?
この点をいつも忘れないようにすることである。
対人恐怖症の人は他人に取り囲まれ、他人の感情を自分の感情とし、他人の自分に対する期待を自分の望みとして長らく生きていると、それ以外に生きようがないようにかんじてしまうのである。
しかし、それ以外に生き方はある。
対人恐怖症の人はただ自分で生き方がないように感じているだけである。
そのためには、じぶんにとってすべてであった人の生き方と、自信に満ちて寛大な人の生き方を比べることである。
そして自分の見習うべきモデルを変えること。
対人恐怖症の人が今必要なのはモデルチェンジである。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著