”思ってもみなかった人と付き合う”
対人恐怖症の人が他人の好意を信じられないのは、好意のない人達にかこまれて生きてきたからである。
好意のない世界に生きてきた対人恐怖症の人は、他人の好意を信じられない。
しかし好意に満ちた世界に生きれば、誰だって他人の好意を信じることができるようになる。
まちがうことや失敗することを恐れて不安な緊張にさらされている対人恐怖症の人は、つきあう人を変えることである。
ストレスを感じて、生きることが辛い人もつきあう人をかえることである。
ストレスの強い人は、心の底に悪意をひめた人とつきあいすぎたのである。
これは鍛えられているとか、鍛えられていないとかいうこと以前の問題である。
人間が成長するには、好意とか善意とかほんとうの愛情とかが酸素と同じように必要なのである。
ストレスの強い対人恐怖症の人は、一酸化炭素中毒になっているようなものである。
そこでがんばることはいよいよ体に良くない。
部屋の外に出ること、そして新鮮な空気を吸うこと、それ以外にはない。
今まで思ってもみなかった人とつきあってみる、そんなことがストレスの根本的な解消になったりする。
対人恐怖症の人は思ってもみなかった人とつきあうことで、今まで自分の周囲にいた人間を新しい角度からみることができるようになる。
そして自分の視野の狭さにも気が付く。
対人恐怖症、対人緊張する人は、相手から自分が否定的に評価されるのではないかという恐れを常に持っているのではないだろうか。
対人恐怖症の人は何かやり損なったら馬鹿にされるのではないか、何かうまくいかなかったら嘲笑されるのではないか、そんな恐れを常にもっているのではないか。
そこで必要以上にケンカ腰になったり、卑屈に迎合したりする。
しかし実際には、目の前にいる相手は決して自分を否定的に評価したりはしない、好意的に肯定的に評価してくれる、ということが多いのではなかろうか。
ところが、対人恐怖症の人は当の本人が自分は低く評価されているという先入観をもっているから、ついつい身構えてしまう。
対人恐怖症の人はリラックスして相手とむきあえない。
おそらく、かつて誰かがその人を常に否定的に評価したのだろう。
周囲に劣等感の強い人がいたのであろう。
そうした過去の亡霊からぬけきれないでいるのである。
ところが今自分の目の前にいる人は、必ずしも同じタイプの人間ではない。
何かをやり損なったからといって、ことさら軽蔑したりはしない人間かもしれないのだ。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著