”自分の中の隠された攻撃性を読む”
自分の心の中に攻撃性を抑圧している対人恐怖症の人ほど他人を恐れる。
対人恐怖症の人は他人が自分の弱点を攻撃するのではないかと思うからである。
好意的な人、寛大な人は、決して他人の弱点をことさら探し出して攻撃などしたリはしない。
ところが、対人恐怖症の人は自分の内に他人に対する攻撃心が抑圧されてると、自分が攻撃されると錯覚する。
心理学でいう”投射”である。
普通に考えれば、それなら攻撃性をもっと表現すればよいということになる。
しかし、これがまた困ったことなのであるが、攻撃性を抑圧している対人恐怖症の人ほど、攻撃性を表現すべきところでひるんでしまうのである。
対人恐怖症の人はスポーツでもなんでも、相手を打倒して勝ってやるぞという激しい闘志を燃やせない。
勝利への偉大な意志がない。
それでいながら、他人への隠された攻撃性を投射というかたちで出してくる。
被害妄想的になったり、他人に陰湿な意地悪をしたり、他人の足をひっぱったり、妬んだり、ひがんだりして他人を困らせる。
そのうえ対人恐怖症の人は、他人を困らせて喜ぶような人は、逆に自分を困らせて喜んでいるのだという解釈をする。
自分のためを思ってやってくれたことでも、そのように解釈する。
対人恐怖症など心が病んでいる人は、まず自分の解釈はまちがっているということを知ることである。
それには、自分の感情の動きもまちがっていると知ることから出発するのがよい。
特に誰というのではなく、とにかく支配されていると感じる人は、そう感じてもよいが、頭の中ではまずそのような事実はないということを知ること。そして自分の感じ方はありのままの事実とは違うと、頭の中ではっきりさせておくことであろう。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著