●「間」の文化を考える

”「アイ」といえない青鬼の話”

治療技法上の問題として、対人恐怖症の中核をなす「間」の扱い方を視点をひろげて、もう一度見直しておく。

その見直しに際して、著者の愛読している読売新聞の『ラブレター「男よ」』欄で詩人の吉原幸子さんが書いた『「新米の泥棒」みたいな不器用な男アイします』から、ちょっと長くなるけれども引用させていただく。

<私の大好きな川崎洋さんの書いた、私の大好きな童話の中の青鬼。
彼はナイナイボシの女の絵かきがかいた人魚に恋をして、自分の星から宇宙の道を自転車こいで、会いに行きます。
そして<新米泥棒のように、がたがたとふるえながら>人魚の前に進み出ると、ギュッと目をつぶって”告白”します。
このセリフが傑作なのだけれど、今はとびとびにご紹介すると―「ぼくはあなたを、あ・・・なんだったっけあの言葉・・・ぼくはあなたを、あ、あまなっとう、じゃない、秋の空、ちがう、あ、あ、あきらめます、じょうだんじゃない、ぼくはあなたを、あ、あ、泡盛、アンダンテ、朝湯が大好きで、あまのじゃく、あ、あ、あべこべ・・・」という調子。
そして彼は泣きながらよろよろ自転車こいで、アオオニボシへ帰っていきます。
三日目にやっと「ぼくはあなたを愛しています」とつぶやきながら。

この物語は悲劇だから仕方がないけれど、もしも私が人魚だったら、赤面恐怖症の青鬼に、最後にやさしく、いちばん大事なひとことを思い出させてあげたいな。

男さま。
あなたアイって発音、できますか?>

質問に答えなくてはいけませんか。「ア、ア、あまのじゃく」。

すでにのべたように、著者は逆説的志向をつかって対人恐怖症の治療をはじめたが、なによりも困ったのは、マンネリズムにおちいって話題がなくなってしまうことであった。その後森田療法やその後の研究を参照しながら、著者なりに対人恐怖症の治療法を工夫してきた。「間」の問題となると、自由連想法的雑談の幅は大きく拡大する。

※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著