“ねくらの面に目を向ける”

さて、特殊な対人恐怖症例ではあるが、G男さんのような例に、どう治療的にアプローチするかに話を進めるとしよう。

この対人恐怖症例は、特定のの一人の人間に対して対人恐怖症的となり、しかも最初てんかんではないかと思われたほどのパニック状態におちいる点が特徴であった。
このような状態では、一般の赤面恐怖症状にたいするような、逆説的志向を試みさせるのは無理である。

それよりも効果的なのは、パニック状態が、ふだん対人的な「間」をまったく感じずにだれかれとなく話せることの、裏返しのあらわれであると気付かせることである。

対人恐怖症患者が病的とは思っていないそのような対人関係に問題性を見出し、平気で話せる上司であっても一目おいて応対し、同僚であってもそれ相応の遠慮や気がねが必要であることを理解させる。

要するに、隠れていたねくらの面、対人関係での怯えやぎこちなさを自覚させるということだ。

対人恐怖症の性格における個人主義と集団主義の矛盾構造を知らないと、この対人恐怖症患者が示す症状はまるで不可解なものとなろう。

対人恐怖症患者は集団主義的志向、自他合体的志向が順調に作動しえているという、ねあか幻想をいだきうるかぎりにおいて、得意にふるまえただけにすぎない。

だから、本来内在する矛盾に気付かされる事態に直面したとき、幻想に自足していたがゆえにパニックにおちいらざるをえなかったのだ。

※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著