”自分のほんとうの感情が見えない”
「私は親の愛を一身に受けて育ちました」このようなことを言うひとは多い。
ところがその父親というのはどういう人であったかといえば、キャッチボールをしている時、ボールを受け損なうとものすごく怒って、その子のヒザにボールをぶつけた人なのである。
小さい頃、自転車に上手に乗れなければ、あまえの運動神経はどうかしているといって、平手打ちした人なのである。
それでもその人は「親の愛を一身に受けて育った」と信じている。
欲求不満な親の支配欲の痛々しい犠牲者である子が親をもっとも尊敬している。社会的には欲求不満をもち、その欲求不満から万能感を求めて、親は子供をえじきにする。
すべては親の甘えである。
子どもは自分の感情を完全に自己規制する。
欲求不満で支配欲の強い親に育てられると、こどもは自分の感情を自己規制する。
好きでもないのに、好きと信じている。
しかし人間というのは実に素晴らしい動物だと思う。
どんなに親の支配欲の犠牲になって意識を規制されても、無意識では親の本当の姿をとらえているし、自分の本当の姿も知っている。
支配は無意識の世界にはおよばない。
抑圧からくる神経症や対人恐怖症は、ある意味で人間の偉大さを証明している。
それは、どんなに不当な支配にあっても、自分の存在を完全には支配されないということである。
すべて支配されてしまえば神経症や対人恐怖症にはならない。
自分の本当の感情があるから神経症や対人恐怖症になるのである。
あなたがもし、一瞬の気のゆるみも許せない対人恐怖症的な性格であるとすれば、それはあなたが心の中の何かを外に出したくないからではなかろうか。
自分の本当の感情を自己規制しているからである。
ほんとうの感情が心の外にでてしまうのをおそれているから、理由もなく不安な緊張の対人恐怖症におそわれるのである。
体をかたくする必要などどこにもないのにかたくなってしまうのは、心の中の何かが外に出ないように用心しているからであろう。
それは戦場で緊張した見張りをしているのと同じである。
あなたは自分を恐れている。
正確には自分の本当の感情を恐れている。その恐れこそが自分の人生を何かニセモノくさくしてしまっているのである。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著