”外国に「人見知り」はあるのか”

人見知りという言葉は、日本では日常用語としてよくつかわれるが、少なくとも英語圏にはそれに相当する用語はないらしい。
最近この現象が注目されるとともに、「見知らぬ人への不安」stranger anxietyという、まことに味も素っ気もない学術的造語が用いられている。

それ以外の国には、人見知り現象を指す言葉が日常用語としてあるのだろうか。著者がある韓国人にきいたところ、韓国にはあるとのことであった。
興味深いことに、韓国にも視線恐怖に相当する症例がかなりあるといわれている。

この問題は対人恐怖症の比較精神医学的に興味深いことがらであるが、今後の課題として残しておくよりほかない。

ここでは人見知りを私たちがどうかんじるかについて述べることにしたい。

私たちは乳幼児の人見知りを「恥じらい」、つまりは羞恥と感じとる。
乳幼児ばかりでなく、成人になっても人見知りする人達を私たちの周辺に大勢見かける。「はにかみ」「照れ」、また外来語の「シャイ」など、ほとんど人見知りと同義語といってよく、子どもの場合に人見知りという言葉をよく使う、という違いがあるだけである。

興味深いのは、このような恥じらいに対する社会の態度である。
そこで驚いたのは、アメリカの行動療法学者のジンバルドの見方である。
彼の著書『シャイネス』によると、「いまやシャイであるという牢獄は、社会的疾患、といってよいほどの伝染病的な広がりを示しつつあり、人々をそのそうごくから救い出すために早急な対策が必要である」として、まるで自分を売り込む法としかいいようのない治療技法を大々的に発表している。

※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著