”待つ”という人生の能力”

対人恐怖症など情緒的に未成熟な母親は、子どもの自然な成長を待てないという。

しかしこのことはなにも親子関係についてのみいえることではない。

対人恐怖症など情緒的に未成熟な者は子どものみならず、友人との関係においても恋人との関係においてもせっかちである。

友人も恋人も精神的成長にはテンポがある。

ところが、情緒的に未成熟な彼らはその自然のテンポに耐えられない。

要求が多いということは、待てないということでもあろう。

情緒的に未成熟な彼らは相手はそのうちもっと自分の要求に合致する人間になっていくだろう、とのんびり構えていることができない。

つまり、まさにその人が今自分にとって理想の人間になることを求めているのである。

彼らは、それが相手にとってたいへんなプレッシャーになるということ、そしてそのプレッシャーこそ対人恐怖症など、相手の成長にとって障害になっているのだ、ということに気付いていない。

情緒的に未成熟な彼らは自分が努力するのではなく、相手がすぐにも理想の人間になることを求める。

誰にでも弱点はある。その弱点を、ただちにその場で改めることを求められたのでは、弱点はいよいよ深刻な劣等感や対人恐怖症になってしまう。

むしろ、そんな弱点などまったく気にしていないといってもらったほうが、その情緒的に未成熟な人は自分の弱点にとらわれることなく精神的に成長していくことができるのではなかろうか。

もちろん、この時相手が口先だけではなくほんとうに気にしていない、ということが大切である。

口先だけできにしていないといっても、劣等感を持っている情緒的に未成熟な人や対人恐怖症の人にはちゃんとわかる。

言葉が不自由な人がいたとしよう。

人とつきあっていくうえで、それが大変な情緒的に未成熟な人には劣等感となっており、相手のことを非常に気にしている対人恐怖症である、そんな情緒的に未成熟な人が、付き合っている人から「私は全然気にしてないわよ」と言われたとしよう。

ほんとうに気にしていなくて出た言葉だとすれば、それは劣等感の持ち主や対人恐怖症の情緒的に未成熟な人にとってどんなに救いとなることだろう。

もしその弱点が神経性の対人恐怖症などのものであれば、その言葉で治療されてしまうかもしれない。

しかし、口先だけで「私は全然気にしていない」といっても、それは劣等感の持ち主や対人恐怖症の人にとってかえってプレッシャーになることもあり得る。

口下手な人は、自分が口下手であることを気にしている。そんな時、相手がその口下手をなおすことを要求したら、その人はいよいよ口下手になってしまうのではなかろうか。

自分の弱点が気になっている対人恐怖症などの人は、つとめて情緒的に成熟した人と付き合うようにし、情緒的に未成熟な人との付き合いはできるかぎり避けることである。

また、相手にすぐにも自分に都合の良い人間になるよう要求してしまう人は、自分が情緒的に未成熟であるということを認めなければならない。

そういった対人恐怖症などの情緒的に未成熟な人は、小さい頃から愛情欲求が十分に満たされることがなかったのである。
大人になってからの人間関係で、その満たされない愛情欲求を満たそうとしているのだ。
だから、相手がそのうち自分の要求に合致した人間になるだろうとのんびり構えていることができないのである。

※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著