“内なるものを開花させよ!”

「人間にとってもっとも大切なことは、”Don’t compromise”(妥協するなかれ!)ということである」アメリカの心理学者、シーベリーがそう言っている。

誤解されやすいが、これは決して自己中心性を奨励しているのではない。
むしろ、その逆である。
他人の拒絶を恐れて自分を裏切り続けるといつになっても情緒は成熟しない。
つまり自己中心性が解消しない。

表面の行動を見ると立派な前うつ病的性格者のような人が、結果として周囲に迷惑をかけ本人も破綻していくケースがある。
彼らの心の中にあるのは自己中心性である。
それは内面の悪さとなってあらわれることもあるし、押しつけがましさとなってあらわれることもある。

だが、対人恐怖症の人は外では自己中心性は抑圧されて反対の行動をとる。
しかしその責任感の強そうな態度も結局はポーズでそうすることによって周囲からゆるしてもらい、責任を逃れようというのが彼の無意識の本心である。
対人恐怖症の人は自分に逆らって他人に妥協して生きていくと、このような表面上は立派にみえるけど実際はずるくて臆病なだけという人間になってしまう。

対人恐怖症の人は自己中心性を自分にも他人にも巧妙に隠して生きているように見える人でも頭隠して尻隠さずで、そのような人と一緒にいても心の安定は得られない。
対人恐怖症の人はこのような親に育てられると子どもは自分の弱点を隠そうとし防衛的な性格になってしまう。

妥協をしてはいけない、と講演会などで主張するとたいていあとの質問の時間に「でも他人との協力は大切です」という主張が出る。

妥協するな、ということと協力するな、とは別である。
いや反対である。
妥協する人間は実は周囲との調和が無い人間である。

自我のもろい人には妥協することと協力するということが反対のことだと理解できない。
自我のもろい人は、他人との関係は屈服か圧倒かしかないと思っている。

シーベリーのいう、”Don’t compromise !”は、わがままを通せということではない、わがままというのは依存心の現れである。
妥協しているといつまでたっても根が我ままの人間でしかないぞ、ということをいましめているのである。

「妥協するな!」とは「自分の内にあるものを開花させよ!」ということである。

※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著