”心の中はからっぽ”
ヒルティは、何か事に熱狂する者は自分の感情をそのようにこうようさせなければ自分の身がもたなくなることをよく知っている人である、と述べている。
これはうつ病の病前性格を考える時に、大変参考になる。
うつ病の病前性格として今まで述べてきたことの他に、熱中しやすさや仕事熱心などがあげられる。
趣味が無くてコチコチで、疲労がたまっても仕事から離れられない。
これはいったいなぜだろうか。
それは、仕事をしていれば内面の空虚感から逃げられるからである。
仕事から離れてしまうと内面の空虚に直面しそうになる。
仕事をしている限りその空虚に直面しなくて済む。
仕事に意欲を燃やしている人は、疲労が溜まれば仕事から離れて休養できる。
しかし、内面の空虚から逃げるために仕事に自分を駆り立てている人は、疲労したからといって仕事を離れては不安になる。
仕事から離れれば不安でよりよい休養をとろうとあせる。
ぼんやりとしているのではなく、休養をとろうと必死になってしまうから、結果としてはかえって休養がとれない。
生活のすべての面にわたって充実しようと焦る人は、内面の空虚に脅かされているのである。
著者はうつ病型心の病には、今述べた二点を自覚することが大切だと思う。
他者への敵意と内面の空虚感。
この二つを抑圧するところからさまざまな症状があらわれるのではないだろうか。
実際は空虚を感じているのに、それを自分の意志の力で無意識の領域においやろうとする。
つまり、自分の空虚感から眼を背けるのだ。そうして空虚感は頭を隠すが、尻が隠れない。
疲労がたまっても仕事から離れられない、休養が取れない、というのはまさに尻にあたる部分であろう。
抑圧は結局のところ、頭隠して尻隠さずなのである。
どこかでそれはあらわれてくる。
対人恐怖症の人は、他者への敵意を抑圧しても、それは周囲との適応に消耗するという形で表れてしまう。
対人恐怖症者もうつ病者も反発しながら、心ならずも周囲に迎合して生きてきたことで、結果として自分の内面は空虚になってしまったのではないだろうか。
そしてされにその空虚感を抑圧することでまちがった方向に歩みだしてしまったのだ。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著