拒否されるのが怖いとは、ありのままで人と接しなかったことである。

もちろん、拒否されるのが好きな人なんていない。

しかし、ありのままの自分を抑え込んで生きていくと、だんだん他人に拒否されるのが怖くなる。

ここで、拒否されるのが怖い心理と拒否されるのが怖くなくなる勇気について述べたいと思う。

拒否されるのが怖い人の心理

責任感が強い、正直、几帳面、これらはうつ病の病前性格としてよくいわれることである。

しかしこの記述の仕方は少々不正確である。

正確に表現すれば、「義務責任感が強いという”ポーズ”が誇大である」ということである。

もちろん、本人がそのように意識しているかどうかとなれば、これは意識していないといったほうがよいだろう。

いかにも義務責任感が強いようなポーズをとることで相手から免罪を引き出そうとしているのが心の底の姿勢である。

いかにうまく自分の責任を逃れるかという手段が、強い義務責任感のポーズ

このように心理的に二重生活をする対人恐怖症の人は、自分が真に何を望み何を感じているかということが分からなくなる。

このような拒否されるのが怖い人は、八方美人で周囲とは表面上いかにもうまくいっているようであるが、心の底は混乱している。

自分は何を感じ、何を信じ、何を望んでいるか、要するに自分が誰であるかが分からない。

心の二重生活者である八方美人には自己喪失した拒否されるのが怖い人が多い

八方美人の中には心の底に他人への敵意を抑圧している人が多い。

が、同時にそれ以上に他人に嫌われることの恐怖を強く持っている拒否されるのが怖い人である。

他人への敵意を抑圧する

そして、彼はこのような八方美人的な行動によってますます心を混乱させ続ける。

他者への敵意を心の底に隠しながら、他者へ善意に振る舞うと、拒否されるのが怖い人はその善意が伝わったかどうか不安になる。

そこで自分の善意が伝わっているということを確認するのに「しつこさ」がでてくる。

強要性も同じである。

うつ病前性格者は他人に気に入られようと善意に振る舞う。

他人に嫌われることを恐れている、というか、より正確にいうならば、他人に嫌われやしないかと恐れ心配している。

拒否されるのが怖い原因

拒否されるのが怖い原因としては、幼少期の親子関係が大きく関係している。

例えば、テストの点が悪くて怒られたり、ご飯を残したら怒られたり、または、誰々はできるのになぜあなたにはできないのか?と他者と比較された経験はないだろうか。

それらは結果的に、成果を出さなければ評価されなかった。

そして、いい子でいなければ親に拒否された経験がある。

子どもは親に拒否されたら生きてはいけない。

また、過保護過干渉の親に支配的に育てられたケースでもいつ親に何を言われるのかとビクビクしながらの生活が拒否されるのが怖い感情を形成していく一つの要因である。

つまり無条件の愛情を親から受け取れなかったことの恐怖が拒否されるのが怖い根っこになっている。

それを他者に当てはめてしまいご飯を残したら拒否されるんじゃないか、いい人にならなければ拒否されるんじゃないか
といった気持ちが生まれてしまうのだ。

しかし、他者はそう思ってはいない。

また、他者に拒否されたとしても生きていける。

拒否されるのが怖い人は他人の拒否を怖れ、他人との摩擦を避けようとして八方美人になっている

もちろん普通の人だって、他人の拒絶を嬉しく思っているわけではない。

他人から拒否されることはどんな人にだって不快である。

普通の人は”拒否されやしないか、拒絶されやしないか”と四六時中心配したりはしない

だからこそ、普通の人は他人との関係において非現実的なまでに高い要求水準を自分に課したりしないのである。

ところがうつ病者や対人恐怖症者は他人から拒否されやしないかといつも不安だから、非現実的なまでに高い要求水準を自分に課すことになる。

彼らは他人から他人から拒否されることが不快なばかりではなく、それをいつも心配しているから周囲との適応に消耗してしまうのである。

うつ病者や対人恐怖症者にとっては、普通の人以上に他者による受容が重要となる

うつ病者や対人恐怖症者にとって受容は生命的要求である、と説明する人さえいる。

彼らが八方美人となり周囲との適応に疲れ果ててしまうのは、一つには他者による受容をあまりに重大視しすぎるということがあろう。

しかしそれだけではない。

死ぬことが嫌だといっても、そのことを毎日毎日朝から晩まで思い悩んでいる人と、日々の生活の関心は他の方に行っている人がいるだろう。

つまりたとえ万人にとって死が不快なものであったとしても、そのことにこだわっている人とこだわらない人がいる。

うつ病者というのはその前者である。

いつも心配しているのだ。

拒否されることが不快だということと、拒否されやしないかといつも不安であるということは、別のことである。

そしてうつ病者や対人恐怖症者をして人間関係で消耗させるのはこの絶え間ない不安感である。

うつ病者や対人恐怖症者だけがのべつまくなしに見捨てられているわけではない。

うつ病者や対人恐怖症者を消耗させるのは見捨てられる不快ではなく見捨てられる不安なのだ。

見捨てられることは普通の健康人にとっても不快である。

しかし、彼らは他人と接する時、いつもいつも”見捨てられやしないか”と不安になっているわけではないのだ。

拒否されるのが怖い人はいつか化けの皮が剥がれる

人と親しくなると、いい人を演じるのが苦しくなってくる

人間とはそういうふうにできているのである。

百人にいい人を演じても、嫌われる人はかならず出てくる。

こっちにいい人を演じても、人に拒否されるのが怖いはあっち側に嫌う人が出てくる。

それならば最初から化けの皮をはがしたありのままの状態で接した方が、こっちの人は嫌われるかもしれないが、あっちの人は好いてくれるかもしれない。

それが正真正銘の絆である。

それに最初から化けの皮をはがしたありのままの状態で人と接した方が楽である。

拒否されるのが怖い人はどうしたらいいか

やはりマイペースに生きることが拒否されるのが怖い人から自由に生きる切符である。

恥ずかしいと思っていることをさらけ出してみよう

緊張すると声が震えてしまう人がいる。

そして、その人は声が震えてしまうのは情けないことでもっと堂々としなければならないと思っていた。

声が震えることで、他人に情けない奴と拒否されるのが怖いのである。

しかし実は、他人からしたら、声が震えることで、誠実な人なんだなと思ってもらえる。

そして、その人の周りにはいい人が集まってくる。

修羅場をくぐり抜ければ生きるのが楽になれる

私は昔、仕事で相手にとって嬉しいニュースがあって、そのことを相手にお願いした。

しかし、事情により、その嬉しいお願いを断わらなければならなくなった。

私はその断ったことで相手に拒否されるのが怖くなった。

しかしどうしてもやむをえないので、私は、その相手に電話し、「お話しがあるのですが、お時間とらせていただいてもよろしいですか」と話した。

そして相手は「今忙しいのだが急ぎの用ですか」と聞いてきた。

私は「急ぎではない」と言った。

そして、一週間後にアポイントを取り付けた。

そして、電話を切った。

しかし、私はそこで本当は大切なことで、すぐにでも伝えなくてはならないのだと気づいた。

私は修羅場が怖かった。

しかし、思い直して、すぐに相手に電話をし、やはりとっても大切なことなので、すぐにでも時間をつくってほしい旨を伝え、すぐにその断らなくてはならない案件を伝えに行った。

相手は残念そうであったが、了承してくれた。

私は霧が晴れたように気が楽になった。

腹六分目の付き合いが生きるのを楽にする

自分と他人との心理的距離が近いと他人から拒否されるのが怖い。

例えていうなら、自分と他人との間に糸がピンと張り詰めた状態である。

そういう他人から拒否されるのが怖い人は他人との心理的距離を離してみよう。

例えば、電車に座ったときの隣に座った人とは物理的距離は近いけれど、心理的距離は遠い。

そこまで距離感を離してみよう。

すると拒否されることが怖くなくなる。

つまり、人付き合いは腹六分目くらいがちょうどいいのである。

拒否の怖さに立ち向かう練習

拒否されるのが怖い人の練習の具体的な方法として、新幹線などで後ろの人に「座席倒していいですか?」と聞くことである。

相手にとっては、うれしいことではない。しかし、たいていの場合、拒否されることは少ない。

何も言わずに倒してしまうと、相手は一言言ってくれればいいのにと思ってしまうし、当の本人は、相手は何も言わずに席を倒してしまったことで怒っているんじゃないかと思考してしまう。

もし、こういう機会が訪れたら、後ろを振り返って、恥ずかしがりながら、緊張しながら、震えながらでもいいので、「席倒していいですか?」と聞いてみよう。

そうしたら、その後のすがすがしい気持ちを実感できる。

百人いたら全員に気に入られることは不可能である

なるべくありのままの自分を受け入れてくれる人と拒否されるのが怖い人は付き合うことである。

ありのままの自分を受け入れてくれる人はどういう人かというと、一緒にいて癒されると思う人である。

そうすると、次第にありのままの自分で生きてもいいんだ、と思えてきて自信もついてくる。

そして、自分を否定する人からは心理的な距離を取ることも一つの技術である。

ありのままの背伸びしないで生きることが使命の一つである。

まとめ

拒否されるのが怖い人は、ありのままの自分を抑圧している人である。

拒否されるのが怖い原因として幼少期に親にいい子でいなければ拒否された経験が根っこにある。

ありのままの自分で人と接する時、生きるのが楽になる。

人付き合いが苦しいときは心理的距離をはなしてみよう。

拒否されるのが怖い人は、自分を無条件に受け入れてくれる人と積極的に付き合うようにしよう。