”多弁になる人、無口になる人”

対人恐怖症の背景にある「間」の困惑に着目すると、対人恐怖症の特別の発病契機もなく徐々に赤面恐怖があらわれてくる例も理解しうるようになる。
このような例では、「間」の困惑自体を自覚しているか否かは別にして、その背景のもとに、ある日ふと赤面している自分に気付いて発病する。

「間」の困惑に着目すると、対人恐怖症の治療技法の手がかりはさらに拡大する。
そもそも赤面は、その背後にある「間」の困惑が症状狭窄的にあらわれたものなのだ。
対人恐怖症患者の生活の様々な場面での行動パターンを聞いてみると、赤面という症状があらわれるわけではないが、対人関係の「間」に過敏になっているのがわかる。

たとえば、すでにのべたように、対人恐怖症患者の「間」の困惑に対して、多弁と無口の相反する反応がみられる。
相反するけれども、対人恐怖患者はなんとか話題を見つけて「間」があかないようにと心の中で腐心している点では共通する。
対人恐怖症の治療的には、無理して話題を探そうなどとこころみさせないようにすることが大切である。
そうできれば、心の余裕は一段と増し、対話でのよい聞き役にさえなりうる。

なかでも無口になる対人恐怖症患者は、そのために対人関係を避ける傾向がつよいが、そのような対人恐怖症患者には、みんなが話している時、黙ったままでいいから横でみんなの話を聞くようにさせる。

一般に精神療法では、抽象的な言葉だけでは効果がない。「無理に話題を探さないように」というだけでは、なお抽象的である。
具体的な事実を話題にすることが肝要である。
たとえば、今述べた問題に関して、「君、電車に乗ったら、若い連中と中年の人達を観察し、比較してみてごらん」といって、次のような話題をだして話し合ってみるのもいい。

一般に若い人達は電車の中で騒々しいほどおしゃべりをする。
まるで話題の提供競争だ。
それにくらべて中年の人達は仕事で疲れているのかどうか知らないけれども、互いに黙っていることが多い。
若い人たちは対人恐怖症的なのだよね・・・、といった話題でもいい。
事実、対人恐怖症は若者に特有の神経症であり、三十歳をこえると激減するという統計的事実がある。
そういう事実を話しておくのも、対人恐怖症患者の希望にはなる。

そのほか、いろいろな具体例はいくらでもあげることができよう。
もし対人恐怖症患者が将棋好きなら、ラジオに出演してなにもしゃべらず、咳払い一つしかしなかったという故塚田名人の有名なエピソードでもいい。
寡黙で有名な作家の川端康成、かつて対人恐怖症だったと公言している何人かの俳優などなど。

対人恐怖症者が有名になるこの逆説は、まことに興味ぶかく、なかには舞台を降りると、表情恐怖並みになるひともいるらしい。
立派なものだ。
またスポーツでも、緊張しやすい人が格闘技に向いているとの話を聞いたこともある。
そういう人はかえって本番の試合で爆発的な力を発揮するという。
面白い話である。

※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著