”森田療法の威力”

著者の治療経験の出発点となったのは、森田の治療技法であった。
その技法とは、すでに<赤面恐怖>段階のところでとりあげた恐怖突入である。
その際あえて指摘しなかったが、その技法は後にフランクル(みずからのナチス強制収容所体験を記した『夜と霧』の著者で、また著名な精神科医)が森田と別個に考案し、逆説志向と名づけたものと同じで恐怖をもって恐怖を制する脱感作療法として、行動療法にもとりいれられている。
以下、このような技法を逆説的志向の名でよぶことにしたい。

彼は精神科医になりたての頃赤面恐怖の患者にこの志向をこころみさせたところ、あっけにとられるほど著効を呈したのに感動し、森田療法の勉強をおこなった。
この技法が、エネルギー消耗率の面からも人間的な意味合いからも、優れたものであることはすでに指摘したとおりである。
森田療法は治療の目標として「あるがまま」をあげている。
赤くなるのは、そればかりか赤くなる自分の弱さを示しうるのは、まさに「あるがまま」の人間の自然性の肯定である。

最初の印象が強烈だったせいもあって、さまざまな恐怖症に対して逆説志向一本鎗の治療を行った。
しかし、その後思い知らされたのは、赤面恐怖にかぎっても著効例は稀だということであった。

確かに、最初ある程度の効果を示す例は少なくない。
しかし、ほとんどの例ではもとの木阿弥に終わってしまうのだ。
いったい、どうしてそうなるのか。
患者は緊張場面に直面したとたん逆説的志向を忘れてしまうためではないか。そうフランクルはいっており、「逆説的志向、何度でも逆説的志向を」と対人恐怖症患者に指示している。
そこで、くりかえし逆説的志向を試みるように指示してみたが、ダメなことはやはり駄目であった。

森田療法は本来、入院治療を原則とし、森田の精神病理学理論にもとづいた、それ相応の治療術式からなりたっている。
それに対して著者の治療は外来治療であり、しかも逆説的志向一本鎗である。
そこに限界があるのではないかと考えてみた。
しかし、森田療法も外来治療をおこなっている。
そればかりか手紙による治療さえおこなっている。
それに稀とはいっても現に著効例がある。
どこかに突破口があるのではないか。

こんなふうに思い迷いながら対人恐怖症をみているうちに、対人恐怖症者の性格像が見えてきた。
見えてきたといっても、すでに森田が見抜いていたことにすぎないものはあったが。

※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著