”この「心の自立」をはたさなければ・・・”
今まで自分に従順であった子が離れて行こうとする時、親はその子をなじる。
いままで貪欲にしがみつかせてくれていた子の自立に、欲求不満な親は敏感である。
「二十年間も育ててやったのだから感謝しろと言います。
親孝行しろといいます」
これだけ聞けば、親の言い分ももっともだという気がするが、普通の親ならこれほどには要求しないであろう。
息子が浪人中なのに、会社では、息子は大学生だといっている父親もいる。
このように世間体を気にする親の中には、子どもに貪欲にしがみつく親が多い。
そして、子供の自立の気配を感じて、「いままで苦労して育ててやった」を連発するのである。
「親孝行!親孝行!感謝!感謝!の連発で疲れました」
対人恐怖症のこの人も自意識過剰で疲れた人であるが、親からの自立という正しい道を歩き始めようとしている。
しかし、親はそれを許さない。
「どこか一点、必ず親がしっかりとにぎりしめていて離さないのです」
この一点を振り切れるかどうかに、対人恐怖症のこの人の将来はかかっているといってよいだろう。
対人恐怖症の人が自立しようとすればするほど、親は、恩とか孝行とかいう規範をもちだしてしばろうとする。
このような親は、子どもが自立の姿勢を示さず従順でいるかぎり、「おまえの好きなようにいきていいのだぞ」などといっているものである。
もっとも卑怯な親は、「俺は、おまえがどんな生き方をしたっていい。
だけど苦労するのはお前だ。
世間にみっともないことをして嫌な思いをするのはお前なんだ。
俺との関係をいっているんじゃない」という。
こうしてほしいという要求を非言語的に示し、言葉では「好きなようにしろ!」という。
そして、ひとたび自立の姿勢が子どもに表れると、今述べてきたように、「苦労しておまえを育ててきた」「どこそこの誰それは、こんなに親孝行だ」といいだす。
これに負けてしまうものは、対人恐怖症など精神の異常をただすことはできないであろう。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著