”リンゴのように真っ赤になろう”
このような事実を考えると、たとえ赤面恐怖症患者が赤面の悩みを執拗に訴えようとも、赤面恐怖とは赤面することのできない病いである、といわざるをえないのだ。
この点を見事に喝破し、その後の対人恐怖症の研究において常に研究の出発点としてとりあげられる、森田の言葉をここにあげておく。
<対人恐怖症は、恥ずかしがることを以て、自らふがいないことと考え、恥ずかしがらないようにと苦心する「負け惜しみ」の意地っ張り根性である。>
<対人恐怖症の患者は、自ら小胆ではいけない、恥ずかしがってはならないと、頑張り虚勢を付けようとするために、恥をも恥とせず、却って益々恥知らずとなる。>
この逆説的現象をもっともよく証示するのは、恐怖突入とか逆説的志向とかよばれる治療法である。
その要点は、患者がもっとも怖れる赤面を逆に願わせ、人前でリンゴのように真っ赤になるようにと、こころみさせることにある。
一般に赤面恐怖患者は、人前にでる前から、赤面するのではないかと予期不安に怯え、赤面しなければいいのにとせつない願いをいだく。
いざその場にでると患者の願いとは逆に赤面し、切ない望みはうちくだかれる。
そしてやはり駄目だったかと、その願いが強ければ強いほど、その後の自信喪失は一段と深まる。
予期不安、願いに反した赤面、そして自信喪失の追い打ちと三度のエネルギー消耗をしいられる。
これに対して逆説的な治療技法は患者の願いとは逆に赤面を願わせることによって、まず患者の予期不安を打破する。
そしてその場に出て赤面すれば、それは願った通りであり、願いがみたされるがゆえに、そのあとに自信喪失を残さない。
エネルギー消耗率がこの場合はるかに少ないことは、容易に理解しうるであろう。
いやがることを逆に願わせるのは、一見非人間的なこころみにみえるかもしれない。
けれども、赤面を願わせる逆説的技法は「益々恥知らずになる」と森田が述べた患者の病理を逆手にとって、赤面できる人間的な存在になることを願わせることにあるのだ。
どんな治療法も、人間の自然性に逆らって成功するものではない。
逆説的技法は、一見不自然にみえて、実は、羞恥という人間存在の根源にたちもどらせるという意味があるからこそ、治療効果があがるのだ。
これに対して患者の赤面克服法は赤面しない厚顔無恥な人間になる努力であって、これこそ自然性に反するこころみにほかならない。
※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著