ある人は、様々な苦しみから逃れるために自殺しようとする。
対人恐怖症の人はいくら自己鍛錬しても、症状が悪化するばかりだからである。
ところが一方に、賢明にも、自分の過去を勇気をもって反省することで対人恐怖症から救われた人もいる。
この対人恐怖症だった人は、自分の虚栄心に苦しんでいたのである。
そして、なぜ自分がそんなにも虚栄心が強いかを反省してみたのである。
「私がこのように見栄を張ることになってしまったのは、小さい時から、親を中心とした周りの人から、この子はよくできる、この子はあたまがよいなどとおだてられて、
じぶんは普通だと思っていても、そうなのだ、自分はよくできる子にならなければならないのだ、みんなの期待どおりに進んでいかなければならないのだと思うようになってしまったからなのです」
この対人恐怖症だった人ははじめ、自分は普通の子どもだと思っていた。
しかし親におだてられ、頭が良いともてはやされて、いつのまにか普通ではいけないと感じるようになってしまったのである。
親は子供を心から誉めたのではない。おだてて勉強させ、出世させようとしたのである。
対人恐怖症の人の虚栄心から出た行動は、それが成功しても失敗しても虚栄心を強めてしまう。
そしてそのうちには、普通であることに罪責感を感じるようになってしまうのである。
しかしこの対人恐怖症だった人は、見栄っ張りの親と見栄っ張りの親類という現実を見抜く勇気を持った。
対人恐怖症の人は事実を歪めることなく直視する、それこそが解決の道である。
対人恐怖症の人は事実を歪めて受け取って自己鍛錬しても、対人恐怖症状は悪化し、いよいよ生きることは辛いことになる。
また、自意識過剰に苦しむ別の対人恐怖症の男性は、街に出ても、周囲の人の眼を気にして、キョロキョロ、オドオドしていた。
オドオドしているくせに、人を憎悪に満ちた眼で見ていた。
そして、他人の欠点を見ては悦に入っていた。
その対人恐怖症の彼は、例のごとき自己鍛錬をする。
しかしお決まりの失敗。
しかし彼もまた、尊敬してやまない父親の正体に気が付いていく。
「父親は、僕が幼い頃からずっと、自分がいかに秀才であるかという自慢話ばかりしていました」
対人恐怖症の彼は、それを尊敬の眼をもって聞き入ることを強制された。
彼はうんざりする本心を抑制して、偉いと信じるように自己規制していった。
「東大、東大と自慢し、会社の部下を口汚くののしり、芸能人はバカだといい続けていました」
対人恐怖症の彼はその父親のいうことに唱和した。それが父親の叱責をまぬがれる唯一の道だったからである。
父親の期待する通りに唱和しなければ、「おまえは世の中を知らない」とか「低級な人間だ」とか、いつまでもネチネチと責め立てられた。
対人恐怖症の彼は、父親の陰湿な叱責をまぬがれるために、父親の期待するような感じ方をするべく自己規制していた。
ところが対人恐怖症の彼は、自分がかくもひどい自意識過剰な人間になってしまった原因は、自分に尊敬えお要求しつづけた両親にあるという事態を直視したのである。
対人恐怖症の彼が一人ひとりの人間にそれなりの価値を認めていくことは、権威主義的な親との戦いであった。
そして、彼は勝利した。
もし対人恐怖症だった彼が、権威主義的な親の価値観を内面化し、親にとって従順な子でありつづけながら、街でオドオドするじぶんを克服しようとしてもむりである。
対人恐怖症の人はアクセルを踏みながら、車が止まらない止まらないといっているようなものである。
尊敬と感謝を要求する親は偽者である。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著