”赤面できない病”
変化の過程をくわしくみると、次の三つの興味深い現象が認められる。
ここでは説明の便せん上、赤面症状にかぎって述べることにする。
1、症状狭窄現象
多くの対人恐怖症患者はもともと対人関係の「間」に著しい困惑を示す。
この「間」の意識こそ羞恥の構造の中核をなすものであり、その際ともなう赤面は「間」の困惑による対人緊張の身体的表出にほかならない。
それが赤面恐怖となると、「間」の困惑は著しくなり、少なくとも第三者的にみると、その困惑自体が病的症状と言ってよいほど目立ってくる。
その際、赤面への怖れ自体は、その下部構造をなす「間」の困惑をあらわす、上部構造的な症状にすぎないのである。
ところが多くの赤面恐怖症患者は、「間」の困惑に基本的問題があるとは気づかない。
むしろ赤面だけが症状であり、それさえ治ればなんでも積極的に行動できるのに・・・と思い込んでいる。
このように症状についての対人恐怖症患者の問題意識がせばまってくるのが、症状狭窄現象である。
2、症状構造の転倒現象
症状狭窄現象にともなって、さらにみられるのが、症状構造の転倒現象である。
赤面恐怖症患者の意識の中では、下部構造と上部構造は主客転倒して、赤面恐怖症患者は赤面するから「間」のわるい思いをするのだと思い込む。
本来なら恥ずかしいから赤面するのである。
だが赤面恐怖症患者にとっては赤面するから恥ずかしいのだという、転倒した意識構造へと変貌する。
3、赤面恐怖とは赤面することのできない病いである、という逆説的現象
1,2、の現象によって赤面恐怖症患者は赤面だけに意識を集中し、なんとか赤面しない人間になろうと、赤面克服の努力をする。
そうすればするほど赤面は恥辱の烙印という意味合いを深めていく。
その際に注目されるのは、その克服の努力とともに、さらに表情恐怖や視線恐怖へと症状変遷が進んでは行くものの、患者はみずからが望んだ通り本当に赤面しない人間になっていくことである。
※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著