”間は魔である”
ある対人恐怖症患者が「間は魔なんです」といったと、笠原嘉氏らは報告している。
一般に対人恐怖症患者は対話に「間」があくこと、挨拶のタイミングを失すること、その場の雰囲気とずれて場をしらけさすこと、つまりは対人関係に「間」があくことを異常に怖れる。
もっと平たく言うと、へまをして間ぬけとみられることは、、対人恐怖症患者にとっては最大の恥なのだ。
ちなみに「へま」とは、新潮国語辞典によると、1、間が抜けていること、気が利かないこと、2、物事がくい違うこと、間のわるいこととされている。
対人恐怖症患者には、話題に途切れて「間」があくなどは最大のへまなのだ。
そのためにB子さんのように対話に間があいて座がしらけるのを怖れて、つぎつぎ話題を探し出すあまり、かえっておしゃべりになる者もいる。
この種の対人恐怖症患者のなかには、大勢の人を前にして立て板に水のごとく大演説をやってのけ、いったいこの人が対人恐怖症かと首をかしげたくなる人もいる。
だが、内心では「間」という「魔」に恐れおののいているのだ。
逆に、話題を探しているうちに、話をさしはさむタイミングをその都度失して無口で気の利かない人間となってしまう者もいる。
多弁と無口は一見相反するようであるが、対人恐怖症では、そのもとに「間」の困惑への怖れがある点において共通しており、なかには状況次第で多弁になったり無口になったりする者もいる。
いずれにせよ、対人恐怖症患者の怖れる「間」が、中間状況でとくに意識されやすいことは、容易に理解しうるであろう。
※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著