●赤面するのが怖い――赤面恐怖
”居心地の悪い中間状況”
対人恐怖症状は、いかなる段階のものであれ、対人関係の場で生じる点で共通している。
、その場の構造やその場の対人葛藤の在り方には、相互に関連性を持ちながらも各段階特有の構造が認められる。
「赤面恐怖」段階の症状発生状況、いいかえると症状が生じる対人関係の場の構造には、特徴的な点が認められる。
一言で述べれば「間の悪い」状況「間を保ちにくい」状況である。
対人恐怖症というと、どんな人をも怖れるように受け取られがちであるが、まだこの段階では、特定の対人関係の場だけで症状が起こるのがふつうである。
そのような場とは、自分の家族、親戚、親友などの親密な間柄の人と、全然見知らぬ人との中間にいる人達、たとえば自分の学校、会社、近所の人達などと接する状況である。以下、このような状況を「中間状況」とよぶことにする。
中間状況と言っても、現実にはその人によって異なり、状況次第によっても流動的である。
人によっては、あまり親密でなければ、親戚との対面でさえ中間状況となる。
親友でも、しばらくぶりに会うと「日々にうとし」で、同じく中間状況と化す。
また見知らぬ他人でも、C男さんの例に示されるように、
(参照)
車中で話し合っているうちに、相手は親密と疎遠の中間に位置する人となる。
電車の中で見知らぬ老人に席を譲っただけでも、その老人はもはや見知らぬ人ではない。
その周辺の乗客も心理的には相互に見知った人達と化し、その状況はただちに中間状況へと変貌する。
逆にまた、自分の家族であっても家庭の外で出会ったとき、その状況次第では、中間状況となりうる。
私達が友人と街を歩いていて、たまたま自分の家族に出会った時、多かれ少なかれ間の悪い思いにおそわれるものである。
もっとも典型的な中間状況は、赤面恐怖症者がいちばん怖れる異性との接触場面である。
男女関係の基軸が、求心力と遠心力の微妙な境にある媚態にあるとすれば、この関係はもっとも中間的な状況である。
このような事実から精神分析学者のなかには対人恐怖症に性の関与を認めたがる人達がいるが、患者の怖れはそのような場面にかぎられるわけではない。
※参考文献:対人恐怖 内沼幸雄著