●「依存心」を「愛」と錯覚していないか

”こわい時にこわいと言えない”

対人恐怖症などの神経症をなおすのに、森田療法というのがよく話題にのぼる。

森田療法の本質は”あるがまま”になることだという。
なるほど、森田療法についての本を読んでいれば、どの本にも”あるがまま””あるがまま”と出てくる。
たとえば『神経質症と心のからくり』(高良武久著 ナツメ社刊)には次のようにある。

「この対人恐怖症をなおすには大胆になれとか、気を大きくもて、そういうことをいっても、なかなか治るものではありません。
森田療法では、人に対して、第一に”あるがまま”に接することを教えます。
・・・この゛あるがまま”というのは第一に人間の心の自然の反応にさからわないで、そのまま受け入れることです。

そして、著者は次のような例を挙げている。
プールの高いジャンプ台から、はじめて飛び込もうとすれば、誰でも”こわい”と感じる。この”こわい”という感情は自然なものである。
そして、この自然の感情に戦いを挑むのはまちがっていると著者は主張する。

それはその通りである。

高いところから飛び込もうとすれば怖い。
これは自然の感情であり、これが克服できなければ飛び込まないというのでは、いつになっても飛び込めないし、怖いからといって自分の臆病を嘆いているのは、いかにも消極的である。

こわい時はこわい、あるがままでよいというのである。
この点についてはまったく異論はない。

問題は、なぜこんなあたりまえのことを神経質者はじっこうできないか、ということであろう。
なぜ高いところから飛び込む時、こわいというきもちになる自分を臆病とせめるのかということである。
なぜ、自然におきる感情に対して、それほど反抗するのかということである。

これがわからなければ、”あるがまま”でよいといったところで、”あるがまま”ではいられないであろう。

それはやはり育つ過程で周囲の人間から、あまりにも多くを期待されたからであろう。

※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著