”自分への圧力の正体をつきとめる”
ものの見方、感じ方は変わる。
私も青年時代に、他人から弱く見られることを恐れていた。
対人恐怖症である。
しかし、自分の心の中の不安や恐怖からではなく、
客観的に人を見ようと思いかつ虚勢を張るのをやめてから、ものの見方は変わった。
ものの見方も感じ方も更新される。
けいぞくさせているのは、他ならぬ自分自身の態度なのである。
対人恐怖症者は自己防衛から絶えず他人を非難していれば、逆に自分も絶えず非難されているような気持ちになる。
他の人々を見る自分の見方が、他人が自分をどう見ているかという考え方を決定していく。
また、対人恐怖症者は他人の弱点を見て軽蔑していれば、自分の弱点を恐れるようになる。
他の人々を見る自分の見方が自分の自分への見方をも決定していく。
他人に対して温かい眼をむけることで、自分への見方も温かくなる。
対人恐怖症者は「私を見くびらないで、私を見捨てないで」と叫ぶ前に、他人を見くびらないことである。
対人恐怖症者の中には自分を見くびられるのが怖くて、他人を攻撃する人がいる。
逆効果である。
この世の中は、あなたが失敗したからといって、あなたをあなたを見捨てる人ばかりではない。
絶え間のない自己防衛は、消耗するだけである。
対人恐怖症の人、弱点を隠そうとして、ごまかしの生活をしている人は、まず、小さい頃から自分にかかっている圧力は何なのか、その点をはっきりさせることである。
対人恐怖症者は恐れの本質を明白にすること。
おおきな圧力がかからないで生活していたら、弱点のある人間が見捨てられるという気はしないはずである。
対人恐怖症者は無能であることと、見捨てられることが同じであると感じてしまうのは、小さい頃、大きな圧力がかかり、その恐れにもとづいて、当時の行動を習慣化してしまったからである。
そもそも、対人恐怖症に苦しむあなたは小さい頃、失敗したからといって屈辱感を味わう必要はなかったのである。
屈辱感を味わったのではなく、屈辱感を味わわされたのである。
ほんとうなら、自分に圧力をかける者を攻撃すればよかったのである。
ところが対人恐怖症のあなたは攻撃を回避し、抑圧した。その結果、もっともなことを他人に要望するときでさえ、何か悪いことでもするように感じてしまう。
対人恐怖症の人は気が引けている。
その、絶えず気が引けているあなたが、自己防衛から他人を非難する。
一方で他人に雑言をあびせながら、他方で当然のことさえ他人に要求できない気の弱さ、
対人恐怖症のこの矛盾は、以上のようなことが原因なのである。
※参考文献:気が軽くなる生き方 加藤諦三著