毎日を他人と一緒に楽しく気楽に過ごしている人がいるのに、他人と会うとすぐに不安な緊張感を覚える人がいる。

他人と一緒にいることを楽しめないで、逆にそれがストレスとなってしまう人である。対人恐怖症である。
それでいながら、他人に無視されるとおもしろくない。
他人からの賞讃は必要としているのである。  
どうしてそのようにストレスの強い人がいるのか?

これは筆者が長年あたためてきたテーマである。
本サイトでは、対人的なストレスの強い人は、なぜ気が”らく”にならないのかについて考えてみたい。

まず第一にあげられるのは、その人達が勘違いをしていることである。
対人的にストレスの強い人は、他人が何も自分に要求していないのに、要求されていると感じたりする。
他人が何も自分に期待していないのに、何かを期待していると錯覚する。

自分が弱かろうと失敗しようと、受け入れてくれる人はいるのに、受け入れてもらえないと錯覚して、他人と会うとすぐに自分の弱点を隠そうとする。

誰にでも弱点はある。にもかかわらず、隠そうとする人はストレスを感じやすい。相手に、自由に自分の弱点を示せる人が、生きることが”らく”な人であるのとは対照的である。

次に、どうして、この違いが出てくるのかを、小さい頃からの人間関係の中で考えてみた。
他人と会うと一瞬の気のゆるみもないほど不安な緊張で疲れる対人恐怖症者は、なぜそのように錯覚するのか。

それは生きることについての正しい順序を踏んでこなかったからである。
他人に自分をあるがままに受け入れられてはじめて、われわれは他人を受け容れる能力をもつようになる。

では、他人に受け入れられるとはどういうことであろうか。

自分が自分を偽ることなく生きることが許されるということである。

自分が弱い人間であっても見捨てられたリはしないという安心感があってこそ、人は自分の弱さを偽ることなく生きられる。

とにかく、他人に受け入れられるということは我々対人恐怖症者の基本的欲求である。
ところが世の中には、他人に受け入れられる前に、他人を受け容れることを強制された人がいる。対人恐怖症者である。

そんな現実に触れて、私はこのサイトをオープンするにあたった。

このような間違った方法で人と接し、ストレスを感じて生きてきてしまった人は、いったいどうすればいいのか、これからこの問題を捉えなおしてみたい。

そしてみなさんがこのサイトを参考にして、生きることが”らく”になり、たにんとたのしくつきあえるようになってくだされば、著者としてこれ以上に嬉しいことはない。

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